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title: 歴史 雑学 29
date: 2020-05-08T01:04:02
collection: mudabako
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「昭和」という元号は、新元号を決める際は第二候補で、第一候補は「光文」というものだった。

## このトリビアについての解説

昭和という元号の選定には、実は意外な裏話があります。

大正から昭和への改元は、大正天皇の崩御に伴い、1926年（大正15年）に行われました。

この際、新元号候補として複数の案が検討されたのは当然のことです。

その中で、最終候補に残ったのは「光文（こうぶん）」と「昭和（しょうわ）」の2つでした。

記録によると、当時の政府首脳の間では、「光文」を推す声が根強かったようです。

しかし、最終的には枢密顧問官会議での審議を経て、「昭和」が採用されることになりました。

「昭和」という元号は、「国民の平和と国の繁栄」を願う意味が込められています。

一方、「光文」にはどのような意味が込められていたのか、詳細は記録に残っていません。

もし「光文」が採用されていたら、私たちの歴史の呼び方も全く違っていたことになります。

ちなみに、元号の選定は、中国の古典に由来する複数の候補案から選ばれるのが通例です。

選定には、当時の政治情勢や国民の願いなどが考慮されます。

昭和という元号が、激動の時代を象徴する名前となったのは、歴史の皮肉かもしれません。