日本が第二次世界大戦に突入する契機となった満州事変の首謀者は東京裁判では無罪
満州事変は、1931年に日本の関東軍が、柳条湖付近の南満州鉄道線路を爆破した事件を発端とする軍事行動です。
この事件は、日本が満州を占領する大きな口実となり、日中戦争、そして第二次世界大戦へと繋がる重要な出来事でした。
首謀者とされたのは、関東軍の作戦参謀であった石原莞爾(いしわらかんじ)と板垣征四郎(いたがきせいしろう)です。
彼らは独断で事件を計画・実行し、関東軍を指揮して満州全土を制圧しました。
しかし、第二次世界大戦後の東京裁判(極東国際軍事裁判)において、石原莞爾は「開戦に関する罪」では起訴されませんでした。
彼の主張は、満州事変はあくまで自衛のための行動であり、その後の戦争拡大には反対していた、というものでした。
一方、板垣征四郎はA級戦犯として起訴され、絞首刑となりました。
この違いは、戦時中の彼らの役割や立場、そして裁判での弁明などが影響したと考えられています。
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