旧満州でのソ連占領軍との戦後処理には関東軍ではなく満州鉄道が交渉に当り行った。
**解説:**
1945年8月のソ連対日参戦により、満州はソ連軍の占領下に置かれました。日本の敗戦が濃厚となる中、降伏交渉や在留邦人の保護、鉄道施設の維持など、さまざまな問題への対応が必要となりました。
通常であれば、占領地における交渉は軍が担当するのが一般的ですが、関東軍は組織的な抵抗をほとんど行わず、また、その機能も麻痺状態に陥っていました。
そこで、当時満州のインフラを管理していた特殊会社、満州鉄道(満鉄)が、急遽、ソ連軍との交渉役を担うことになったのです。満鉄は、鉄道運営だけでなく、病院や学校、住宅なども抱え、多くの日本人職員やその家族が満州に居住していました。彼らの安全確保と生活維持は喫緊の課題でした。
満鉄は、ソ連軍に対し、鉄道施設の保全や日本人居留民の保護などを交渉しました。しかし、ソ連軍は当初、満鉄を日本の傀儡組織とみなしており、交渉は難航しました。それでも、満鉄関係者は粘り強く交渉を続け、一部の鉄道施設の維持や、避難民への食糧供給など、一定の成果を上げることができました。
満鉄による交渉は、軍の組織が崩壊した状況下での異例の措置であり、日本の敗戦処理における混乱を象徴する出来事の一つと言えるでしょう。
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