タイタニック号沈没の際に、一人の日本人が乗船していた。
タイタニック号の悲劇には、細野正文という一人の日本人が乗船していました。彼は当時、鉄道院(現在のJR)の官僚として、ロシアに鉄道視察のため派遣されていました。帰路、イギリスのサウサンプトンからタイタニック号に二等船客として乗船したのです。
1912年4月14日、タイタニック号は氷山に衝突し沈没。細野氏は幸運にも救命ボートに乗り込み、九死に一生を得ました。生存者としてニューヨークから帰国した彼は、タイタニック号の沈没状況や自身の体験を詳細に記録しています。この記録は、当時の事故の状況を知る上で貴重な資料となっています。
しかし、帰国後、細野氏は周囲からの厳しい視線に晒されました。当時の日本では、「男性は危険を顧みず最後まで戦うべき」という価値観が強く、彼が女性や子供を優先する救命ボートに乗り込んだことは「臆病者」と見なされたのです。鉄道院では、彼が二等船客であったにもかかわらず、特別待遇で救助されたのではないかという疑念も生じ、不遇な扱いを受けたと伝えられています。
細野氏の体験は、タイタニック号の悲劇を日本人という視点から捉えた貴重な記録であると同時に、当時の社会における倫理観や価値観を反映する出来事でもあります。彼は沈没事故の生存者であるにもかかわらず、その後の人生において苦悩を抱え続けたのです。
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