ヤルタ会談でルーズベルトが居眠りしたせいでソ連の対日参戦が決まってしまった
ヤルタ会談におけるルーズベルトの居眠りとソ連対日参戦の関係についてですが、これは、まあ、都市伝説の一種と言えるかもしれませんね。
1945年2月、クリミア半島のヤルタで開催された米英ソ首脳会談(ヤルタ会談)は、戦後処理について話し合う重要な場でした。ルーズベルト大統領は、ヨーロッパ戦線が終結した後、ソ連に日本との戦争に参加してもらうことを強く望んでいました。
なぜなら、アメリカとしては、日本本土への上陸作戦(ダウンフォール作戦)の被害を最小限に抑えたかったからです。ソ連が参戦すれば、日本の戦力を分散させ、アメリカの負担を軽減できると期待していました。
一方、スターリンは、日本の参戦と引き換えに、満州における権益の回復など、様々な条件を提示しました。ルーズベルトはこれらの条件をほぼ受け入れました。
「ルーズベルトが居眠りしたせいでソ連の要求を呑んでしまった」という話は、会談の一部を誇張したものでしょう。ルーズベルトは体調が優れなかったのは事実ですが、ソ連の参戦は、戦略的な判断と交渉の結果であり、居眠りが直接的な原因ではありません。
つまり、ルーズベルトは眠っていても、眠っていなくても、ソ連の参戦はほぼ既定路線だった、というのが真相に近いと思われます。
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