ブルボン朝からカスティリアのペドロ残酷王に嫁いだ后は衆人環視の中で初夜を迎えた。
**トリビア詳細:**
このトリビアは、14世紀のカスティーリャ王国に起こった王室結婚の奇妙な慣習に触れています。ブルボン朝の王女という表現は厳密には正しくありません。なぜなら、ブルボン家がフランス王位に就くのはずっと後の時代だからです。
実際には、フランス王ジャン2世の娘、ブランシュ・ド・ブルボンが、カスティーリャ王ペドロ1世(通称「残酷王」)と結婚しました。政治的な思惑が絡み合った結婚であり、フランスとカスティーリャの同盟を強化する目的がありました。
問題は、ペドロ1世がブランシュとの結婚を望んでいなかったことです。彼は既に愛妾マリア・デ・パディーリャと関係を持っており、ブランシュとの結婚はあくまで政略的なものでした。
結婚後、ペドロ1世はブランシュを丁重に扱わず、すぐに彼女を幽閉してしまいます。そして、驚くべきことに、結婚式当日の夜、二人の初夜は多くの廷臣たちの面前で行われたと伝えられています。これは、王位継承者を産むという王妃の役割を公に示すための儀式的な意味合いがあったと考えられます。
しかし、ペドロ1世は儀式が終わるとすぐにブランシュのもとを去り、愛妾マリアのもとへ戻ってしまったとされています。ブランシュはその後、様々な場所に幽閉され、悲劇的な生涯を送りました。
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