江戸時代の中期までは「朝夕のおもの」といって食事は一日に2回だけだった。
江戸時代中期まで、食事は基本的に一日二回でした。これは「朝夕のおもの」と呼ばれ、朝食と夕食を指します。「おもの」とは、食事を丁寧に言う言葉です。
一日二食の習慣は、武士階級から広まったと言われています。彼らは質素倹約を旨とし、無駄を省く生活を心がけていました。また、農民も日の出から日没まで働くため、朝と夕にしっかりと食事を摂ることで、十分なエネルギーを確保していました。
当時の人々の生活リズムも、一日二食に合っていました。夜明けと共に起床し、日中は仕事、そして日が暮れる頃には就寝するという生活を送っていたため、現代のように夜遅くまで活動することは稀でした。
しかし、江戸時代後期になると、都市部を中心に一日三食の習慣が広まり始めます。経済の発展とともに、夜間の活動時間が増え、間食をする習慣も生まれたことが要因と考えられています。また、料理の種類が増え、外食文化が発達したことも影響しています。
このように、江戸時代の食生活は、時代の変化と共に徐々に変化していきました。一日二食から三食への移行は、社会の変化を反映する興味深い現象と言えるでしょう。
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