「昭和」という元号は、新元号を決める際は第二候補で、第一候補は「光文」というものだった。
昭和という元号の選定には、実は意外な裏話があります。
大正から昭和への改元は、大正天皇の崩御に伴い、1926年(大正15年)に行われました。
この際、新元号候補として複数の案が検討されたのは当然のことです。
その中で、最終候補に残ったのは「光文(こうぶん)」と「昭和(しょうわ)」の2つでした。
記録によると、当時の政府首脳の間では、「光文」を推す声が根強かったようです。
しかし、最終的には枢密顧問官会議での審議を経て、「昭和」が採用されることになりました。
「昭和」という元号は、「国民の平和と国の繁栄」を願う意味が込められています。
一方、「光文」にはどのような意味が込められていたのか、詳細は記録に残っていません。
もし「光文」が採用されていたら、私たちの歴史の呼び方も全く違っていたことになります。
ちなみに、元号の選定は、中国の古典に由来する複数の候補案から選ばれるのが通例です。
選定には、当時の政治情勢や国民の願いなどが考慮されます。
昭和という元号が、激動の時代を象徴する名前となったのは、歴史の皮肉かもしれません。
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