徳川家康と石田三成が天下を賭けて戦った関ヶ原の戦いだが、東軍総大将は徳川家康に対し、西軍総大将は石田三成ではなく毛利輝元。
**解説:**
関ヶ原の戦いは、1600年に行われた天下分け目の戦いです。一般的には徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍の戦いとして認識されていますが、総大将はそれぞれ異なっていました。
東軍の総大将は、ご存知の通り徳川家康です。彼は戦場を駆け巡り、各武将に指示を出し、まさに東軍を勝利に導いた立役者と言えるでしょう。
一方、西軍の総大将は石田三成…ではなく、毛利輝元でした。輝元は当時の大大名であり、西軍の盟主として担ぎ上げられた形です。しかし、彼は大阪城から動かず、戦場には一度も姿を現しませんでした。実質的な指揮は石田三成が執っていたため、誤解されがちですが、あくまで名目上の総大将は毛利輝元だったのです。
つまり、関ヶ原の戦いは、徳川家康率いる東軍が、毛利輝元を総大将とする西軍を打ち破った戦い、というのが正確な表現になります。
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