明治時代の総理大臣であった大隈重信は、学生時代に「二度と文字を書かない」と宣言し、それを死ぬまで守り通した。
**詳細説明:**
大隈重信が「二度と文字を書かない」と宣言したのは、佐賀藩校・弘道館での学友との喧嘩がきっかけでした。
優秀だった大隈は、漢学の授業で学友に代筆を頼まれることが多かったのですが、ある時、それを快く思わない学友から「卑怯だ」と非難されます。激昂した大隈は、以後一切文字を書かないと宣言しました。
もっとも、これはあくまで「筆で文字を書かない」という意味合いが強く、大隈は鉛筆や口述筆記を利用して執筆活動を続けています。また、公文書へのサインなどは必要に応じて行っていたと考えられます。
総理大臣という要職を務めながら、一切文字を書かないというのは現実的ではありません。このエピソードは、大隈の負けん気の強さを示す逸話として語り継がれていますが、厳密には「筆で文字を書くことを極力避けた」と解釈するのが妥当でしょう。
なお、大隈が創設した早稲田大学には、彼の直筆の書が数多く残されており、この点からも「文字を書かない」という宣言を文字通りに受け取ることは難しいと言えます。
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