**詳細説明:**
現在の奈良県は、かつて「奈良府」と呼ばれていた時期が存在します。これは、明治時代初期の地方行政区分の変遷によるものです。
明治政府は、江戸時代の封建的な藩制度を廃止し、中央集権的な体制を確立するために、1868年(明治元年)に府藩県制を施行しました。当初、奈良は奈良県の扱いでしたが、1869年(明治2年)に堺県に編入されます。
しかし、1876年(明治9年)、当時の政府は、大阪府、京都府、そして堺県を、より強固な行政基盤を持つ「府」として位置づけることを決定します。その結果、堺県は廃止され、その領域は大阪府と奈良県に分割されました。この際、奈良は一時的に「奈良府」として設置されたのです。
しかし、この「奈良府」体制は長くは続きませんでした。わずか10日後の1876年4月18日に、奈良府は再び奈良県へと改称され、現在に至っています。
この短期間の「奈良府」の存在は、明治初期の行政区分の混乱と、政府の試行錯誤を示すものと言えるでしょう。現在の県名からは想像しにくい歴史の一幕です。
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