**解説:怪僧ラスプーチンの暗殺、その不死身伝説の真相**
グリゴリー・ラスプーチンは、20世紀初頭のロシア帝国末期に皇帝ニコライ2世一家に取り入り、政治に大きな影響力を持った謎多き人物です。その怪異な風貌と予言能力から「怪僧」と呼ばれ、皇室の信頼を得て権勢を振るいました。
しかし、その奔放な行動や政治への介入は貴族たちの反感を買い、1916年、ついに暗殺計画が実行されます。
暗殺を実行したのは、皇族のユスポフ公爵を中心としたグループでした。彼らはラスプーチンをユスポフ邸に招き、毒を盛ったワインとケーキを振る舞います。ところが、ラスプーチンは毒を盛られたにも関わらず、平然とワインを飲み、ケーキを食べ続けたとされています。
驚いた暗殺者たちは、次に銃を発砲。数発の銃弾を浴びたラスプーチンは倒れますが、しばらくすると再び起き上がり、ユスポフ公爵に襲いかかったと伝えられています。最終的に、彼は撲殺され、凍ったネヴァ川に遺棄されました。
後日、遺体を引き上げた検視の結果、肺には水が入っており、溺死したことが判明しました。つまり、銃撃を受け、撲殺された後も、まだ生きていた可能性があるのです。
この暗殺劇があまりに劇的だったため、「ラスプーチンは不死身だった」という伝説が生まれました。実際には、毒物が効かなかった理由や、銃撃後の蘇生については諸説あり、真相は謎に包まれています。毒の量が少なかった、あるいは毒が偽物だったという説、銃撃後も致命傷には至っていなかったという説など様々です。
いずれにせよ、ラスプーチンの暗殺は、ロシア帝国の崩壊を加速させる一因となり、その死後もなお、人々の記憶に残る伝説として語り継がれています。
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