8月21日は何の日?何の記念日?。簡単なエピソードとぽんぷーのイラストを添えてご紹介します。ちょっとした雑学ネタとして、何となく知ってたらいつか役に立つかも?
※面白い記念日が認定されたら追加していきます。
女性の学びの扉を開いた日: 女子大生の日
1913年(大正2年)8月21日、東北帝国大学(現:東北大学)が女子受験生3人の合格を発表し、日本初の女子大生が誕生した。
Q: なぜこの日が「女子大生の日」なのですか?
A: 1913年(大正2年)のこの日に、東北帝国大学(現在の東北大学)が、官立大学としては日本で初めて女性3名の入学を許可し、合格を発表した歴史的な出来事に由来します。
Q: 日本初の女子大生は誰でしたか?
A: 合格したのは、黒田チカさん(化学科)、丹下ウメさん(化学科)、牧田らくさん(数学科)の3名です。当時、女子の高等教育への道は非常に限られており、彼女たちの入学は画期的なことでした。
Q: なぜ東北帝国大学が最初に女子を受け入れたのですか?
A: 初代総長の澤柳政太郎が「門戸開放」の理念を掲げ、入学資格に性別による制限を設けなかったためです。これは当時の社会通念や文部省の方針とは異なる英断でした。
安全な血液供給体制への転換点: 献血の日
1964年(昭和39年)のこの日、それまでの売血制度をやめ、全ての輸血用血液を献血によって確保する体制を確立するよう、献血の推進が閣議で決定された。

Q: なぜこの日に献血の推進が閣議決定されたのですか?
A: 当時、輸血用血液の多くは民間血液銀行を通じて「売血(お金で血液を買うこと)」によって供給されていましたが、貧しい人々が生活のために繰り返し売血することによる健康問題や、輸血後肝炎などのリスクが社会問題化していました。こうした状況を改善し、安全な血液を安定的に確保するため、国民の自発的な協力(献血)による体制を目指すことが決定されました。
Q: 献血にはどのような種類がありますか?
A: 血液中の全ての成分を採血する「全血献血」(200mLまたは400mL)と、特定の成分(血小板や血漿)だけを採血し、残りの成分は体内に戻す「成分献血」があります。患者さんの状態に応じて使い分けられます。
Q: 献血された血液はどのように使われますか?
A: 病気やけがの治療(手術時の輸血など)、血液製剤(特定の成分を抽出・加工したもの)の製造などに使われます。血液は人工的に作ることができず、長期保存も難しいため、継続的な献血への協力が不可欠です。
博覧会を彩った西洋技術の導入: 噴水の日
1877年(明治10年)のこの日、東京・上野公園で第1回内国勧業博覧会が開催され、会場中央の人工池に日本初の西洋式の噴水が作られた。博覧会の開催日が8月21日で、噴水が落成したのは9月8日であった。

Q: なぜ博覧会の開催日が「噴水の日」とされているのですか?
A: 1877年(明治10年)8月21日に、近代日本の産業振興を目的とした「第1回内国勧業博覧会」が東京・上野公園で開幕しました。この博覧会の目玉の一つとして、会場中央の池(現在の上野恩賜公園大噴水のある場所)に日本で初めてとなる西洋式の噴水が設置されたことから、博覧会の開幕日を記念して「噴水の日」と呼ばれるようになりました。(噴水自体の完成は少し後の9月8日でした。)
Q: 当時の噴水はどのようなものでしたか?
A: 博覧会のために作られた噴水は、当時の錦絵などにも描かれており、上野の森を背景に高く水を噴き上げる様子は、多くの人々を驚かせ、文明開化の象徴として人気を集めたようです。
Q: 内国勧業博覧会とは何ですか?
A: 明治政府が国内産業の振興と発展を目的に開催した博覧会です。全国から様々な産物や工業製品が出品され、最新技術の展示なども行われました。第1回の上野を皮切りに、その後も数回開催されました。
プロボウリング界の金字塔達成: パーフェクトの日
1970年(昭和45年)のこの日、プロボウラー中山律子が女子プロボウラー初のパーフェクトゲームを達成した。
Q: 中山律子さんのパーフェクトゲームは何がすごかったのですか?
A: プロボウリングの公式戦において、女子プロ選手として史上初めてパーフェクトゲーム(1ゲームで12投すべてストライクを出し、満点の300点を記録すること)を達成したという快挙でした。これはテレビ中継もされており、多くの視聴者が歴史的瞬間を目撃しました。
Q: 当時のボウリングブームとの関連はありますか?
A: はい、1970年前後は日本で空前のボウリングブームが起きており、中山律子さんはそのスター選手の一人として絶大な人気を誇っていました。彼女のパーフェクトゲーム達成は、ブームをさらに加速させる大きな出来事となりました。
Q: 中山律子さんはどのような選手でしたか?
A: 「和製ジャンヌ・ダルク」とも称された美貌と実力を兼ね備えたトッププロボウラーで、さわやかな笑顔と力強い投球フォームで多くのファンを魅了しました。パーフェクト達成時の「やったー!出ました!」という喜びの声も有名です。
ご当地グルメ誕生のきっかけとなった日: 北本トマトカレーの日
「北本トマトカレーの会」が制定。日付はこのコンテストが開催された2011年8月21日から。「北本トマトカレー」は2011年(平成23年)に開催の「きたもとご当地グルメ開発コンテスト」でグランプリを受賞。
Q: なぜこの日が「北本トマトカレーの日」なのですか?
A: 2011年8月21日に埼玉県北本市で開催された「第1回きたもとご当地グルメ開発コンテスト」で、「北本トマトカレー」が初代グランプリに輝いたことを記念して、「北本トマトカレーの会」が制定しました。
Q: 「北本トマトカレー」はどのようなカレーですか?
A: 北本市の特産品であるトマトをふんだんに使い、ルーにトマトピューレやトマトジュースを使用し、ライスもトマトで赤く色付け、具材やトッピングにもトマトを用いるなど、トマト尽くしであることが定義とされています。トマトの酸味と旨味が特徴のご当地カレーです。
Q: ご当地グルメは地域にどのような効果をもたらしますか?
A: 地域の特産品を活用したご当地グルメは、その地域の知名度向上や観光客誘致、地域経済の活性化につながります。また、住民にとっては郷土への愛着や誇りを育むきっかけにもなります。「北本トマトカレー」も、北本市の魅力を発信するツールとして期待されています。
郷土愛を育む県制定の記念日: 福島県民の日
1876年(明治9年)8月21日に、旧福島県、若松県、磐前(いわさき)県の3県が合併して、ほぼ現在の福島県が成立したことを記念し、1997年(平成9年)に福島県が制定しました。
Q: なぜこの日が福島県の誕生に関係するのですか?
A: 明治時代の廃藩置県後の県統合の流れの中で、1876年8月21日に、現在の福島県中通りを中心とする旧福島県、会津地方を中心とする若松県、浜通りを中心とする磐前県の3つの県が一つになり、現在の福島県の県域がほぼ確定しました。この歴史的な日を記念しています。
Q: 「県民の日」にはどのような目的がありますか?
A: 県民一人ひとりが、郷土である福島県の歴史や文化、自然への理解と関心を深め、県民としての一体感や郷土愛を育み、より豊かな福島県を築き上げることを期する日とされています。
Q: 福島県ではこの日に何か行われますか?
A: 県や市町村が主催する記念式典やイベント、県有施設の無料開放や割引、県産品のPRなど、県民が郷土に親しむための様々な行事が企画・実施されることがあります。