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歴史 雑学 54

歴史 No.54|フランス革命時襲撃されたが、実際には政治犯はおらず約7名が収容されていただけだった

フランス革命時襲撃されたが、実際には政治犯はおらず約7名が収容されていただけだった

このトリビアについての解説

フランス革命の象徴的な出来事、バスティーユ牢獄襲撃。

1789年7月14日、パリ市民がこの要塞を襲撃しました。

しかし、意外なことに、当時バスティーユに収容されていたのは、政治犯ではなく、主に詐欺や偽造などの罪で捕らえられた7人の囚人でした。

内訳は、精神疾患の疑いのある貴族、詐欺師4名、そして殺人罪の容疑者2名。

政治的な異議を唱えた人物は皆無だったのです。

市民がバスティーユを標的にしたのは、そこが専制政治の象徴と見なされていたためです。

武器や弾薬が保管されていると考えられており、革命を推し進めるためにそれらを奪取する必要がありました。

襲撃は激しい銃撃戦を伴い、多数の死傷者が出ました。

最終的にバスティーユは陥落し、牢獄長は殺害されました。

バスティーユ襲撃自体は、収容されていた囚人の数から見れば、単なる小規模な事件に過ぎません。

しかし、この出来事は革命の口火を切る象徴的な行為として、フランス革命史において重要な位置を占めています。

バスティーユの陥落は、民衆の力が王権を打ち破った瞬間として、フランスだけでなく世界中に影響を与えました。

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