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歴史 雑学 33

歴史 No.33|ハチ公の銅像は、元々功績をたたえるためにハチの死後に立てられる予定だったが、他にも銅像を建てたいという人が現れたため、急遽ハチの生存中に建てられた。

ハチ公の銅像は、元々功績をたたえるためにハチの死後に立てられる予定だったが、他にも銅像を建てたいという人が現れたため、急遽ハチの生存中に建てられた。

このトリビアについての解説

忠犬ハチ公の像建立は、単なる美談として語られる以上の、興味深い背景を持っています。

ハチ公は、飼い主である東京帝国大学(現在の東京大学)教授・上野英三郎が亡くなった後も、渋谷駅で帰りを待ち続けた秋田犬です。

その忠実な姿は、多くの人々の心を打ちました。

当初、ハチ公の銅像は、1934年にハチ公が亡くなった後に、その功績を称えて建立される予定でした。

しかし、ハチ公の生存中に、その忠犬ぶりが広く知れ渡り、人々からの反響が予想以上に大きかったため、計画が前倒しされることになります。

ハチ公の銅像建立を提唱したのは、日本犬保存会でした。

彼らは、ハチ公の存在が日本犬の素晴らしさを象徴するものと考え、その銅像建立を積極的に働きかけました。

しかし、銅像建立には資金が必要です。

そこで、日本犬保存会は募金活動を開始しました。

すると、全国から多くの人々が寄付を申し出て、予想を上回る金額が集まりました。

さらに、銅像を建てたいのはハチ公だけではない、という声も上がり始めました。

他の犬種や、勇敢な軍用犬などの銅像建立を希望する人々も現れ、もしハチ公の死後に銅像を建てていたら、他の犬たちの銅像建立の声も高まり、収拾がつかなくなる可能性もありました。

これらの状況を踏まえ、日本犬保存会は、ハチ公の生存中に銅像を建立することを決定しました。

結果として、1934年4月、ハチ公自身が見守る中、渋谷駅前に銅像が建立されたのです。

この銅像は、ハチ公の忠誠心を象徴するものとして、戦時中の金属供出で一度は失われましたが、戦後に再建され、現在も渋谷のシンボルとして多くの人々に親しまれています。

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