6月22日は何の日?何の記念日?。簡単なエピソードとぽんぷーのイラストを添えてご紹介します。ちょっとした雑学ネタとして、何となく知ってたらいつか役に立つかも?
※面白い記念日が認定されたら追加していきます。
星座と語呂合わせで祝う味覚: かにの日
株式会社「かに道楽」が1990年(平成2年)に制定。日付は星占いにおいて「かに座」の最初の日が6月22日であることと、50音で「か」が6番目、「に」が22番目で当たることから。
Q: なぜ株式会社「かに道楽」がこの日を制定したのですか?
A: かに料理専門店である「かに道楽」が、自社の主力食材である「かに」の美味しさや魅力をより多くの人に知ってもらい、消費を促進するために制定しました。ユニークな日付の由来を設定することで、話題性を高める狙いもあります。
Q: 星占いのかに座と日付の関係は?
A: 一般的に星占い(占星術)では、太陽が黄道十二宮のかに座(巨蟹宮)に入る期間の始まりが6月22日頃とされています(年によって多少前後します)。この日付とかに料理を結びつけたものです。
Q: 50音の語呂合わせについて詳しく教えてください。
A: 日本語の50音図(あいうえお表)において、「か」行はあ行から数えて2番目の行、「に」行は5番目の行ですが、これは単純な順番です。記念日の説明にある「『か』が6番目、『に』が22番目」というのは、おそらく「あ(1)い(2)う(3)え(4)お(5)か(6)…」と数え、「な(21)に(22)…」と数える独自の方法、もしくは何らかの文字コードや符丁に基づいている可能性がありますが、一般的な50音の順番とは異なります。かに道楽独自のユニークな語呂合わせと考えられます。
日本ボウリング発祥を記念: ボウリングの日
日本ボウリング場協会(BPAJ)が1972年(昭和47年)に制定。1861年(文久元年)この日付の英字新聞「ザ・ナガサキ・ショッピングリスト・アンド・アドバタイザー」に、長崎出島の外国人居留地に日本初のボウリング場が開設されたと掲載されたことにちなんだもの。

Q: なぜ新聞記事の掲載日が「ボウリングの日」になったのですか?
A: 1861年(文久元年)6月22日付の英字新聞の記事が、日本で初めてボウリング場が開設されたことを示す現存する最古の記録とされているためです。この記録に基づき、日本におけるボウリングの歴史の始まりを記念する日として制定されました。
Q: 日本初のボウリング場はどのような施設でしたか?
A: 長崎の出島にあった外国人居留地に、外国人向けのアミューズメント施設として開設されたと考えられています。当時のボウリングは、主に外国人たちの社交や娯楽として楽しまれていました。一般の日本人がプレイするようになったのは、もっと後の時代になります。
Q: ボウリングが日本で大衆的なスポーツになったのはいつ頃ですか?
A: 1960年代後半から1970年代前半にかけて、日本で空前のボウリングブームが起こりました。テレビでスター選手が活躍し、全国にボウリング場が次々と建設され、老若男女問わず多くの人々が楽しむレジャーとして定着しました。このブームをきっかけに、日本ボウリング場協会が記念日を制定しました。
人権回復と追悼の日: らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日
2001年(平成13年)のハンセン病補償法の公布・施行、及び同年に行われた小泉純一郎首相(当時)による国の責任を認める謝罪談話などを背景に、ハンセン病問題に対する正しい理解を深め、偏見や差別をなくすとともに、元患者の名誉回復と追悼を行うことを目的として、国が定めた日です。日付は、1996年に「らい予防法」が廃止され、「らい予防法の廃止に関する法律」が施行された日(6月22日ではなく、施行は4月1日ですが、関連する重要な日として6月22日が意識されることがあります。より正確には、2009年からは法務省の人権週間などの啓発活動と連携して行われています。)※日付については、6月22日が熊本地裁判決(国に責任を認めた)の日とする説など諸説あります。
Q: なぜこの日が制定された(あるいは意識されるように)なったのですか?
A: 背景には、長年にわたるハンセン病患者・元患者に対する強制隔離政策(「らい予防法」に基づく)が、深刻な人権侵害であったという認識があります。1996年の「らい予防法」廃止、2001年の熊本地裁判決(国の隔離政策の違憲性を認定)、そして同年の政府による公式謝罪と補償法の制定という一連の流れの中で、過去の過ちを反省し、被害者の名誉回復と追悼、そしてハンセン病に対する正しい理解を促進する必要性が高まりました。特定の日付制定というより、これらの歴史的経緯を踏まえ、人権啓発活動の中で重要な日として位置づけられています。
Q: 「らい予防法」とはどのような法律でしたか?
A: 1907年から1996年まで存在した日本の法律で、ハンセン病(かつて「らい病」と呼ばれた)の患者を強制的に療養所などに隔離することを定めていました。当時は感染力が非常に弱い病気であるにも関わらず、誤った認識に基づき、患者の人権を著しく制限する隔離政策が長期間続けられました。結婚の制限、断種・中絶の強制なども行われ、多くの患者やその家族が深刻な差別と偏見に苦しみました。
Q: この日の意義は何ですか?
A: ハンセン病問題の歴史的な過ちを忘れず、被害を受けた方々の名誉を回復し、追悼の意を表することにあります。また、ハンセン病に対する偏見や差別をなくし、人権尊重の重要性を社会全体で再確認するための重要な機会となっています。
戦後日韓関係の出発点: 日韓基本条約調印記念日
1965年(昭和40年)のこの日、日本と大韓民国との間の国交正常化に関する基本条約(日韓基本条約)及び関連協定が東京で調印されたことを記念する日です(ただし、公式な記念日ではありません)。これにより、第二次世界大戦後、国交が断絶していた両国の国交が正常化されました。
Q: 日韓基本条約はどのような内容ですか?
A: 正式名称は「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」です。この条約により、両国間の外交・領事関係の開設、1910年以前に結ばれた日韓併合関連の条約の無効確認、そして韓国政府を朝鮮半島における唯一の合法政府と承認することなどが定められました。同時に、請求権・経済協力協定なども結ばれました。
Q: この条約の調印にはどのような意義がありましたか?
A: 第二次世界大戦後の日韓関係において、国交を樹立し、新たな協力関係の基礎を築いた点で大きな意義がありました。これにより、経済、文化、人的交流など様々な分野での関係発展が可能となりました。
Q: 日韓基本条約に関して、どのような課題が残っていますか?
A: 条約及び関連協定における請求権問題(特に個人の請求権の扱い)の解釈や、歴史認識(特に植民地支配に関する評価)などを巡っては、現在に至るまで両国間で見解の相違が存在し、外交上の課題となっています。