7月6日は何の日?何の記念日?。簡単なエピソードとぽんぷーのイラストを添えてご紹介します。ちょっとした雑学ネタとして、何となく知ってたらいつか役に立つかも?
※面白い記念日が認定されたら追加していきます。
日常の幸せを詠んだ歌から: サラダ記念日
1987年(昭和62年)5月8日に歌人・俵万智(たわら まち)が発表した第一歌集『サラダ記念日』(河出書房新社)の中の一首「この味がいいね」と君が言ったから 七月六日はサラダ記念日。
Q: なぜ俵万智さんの短歌が「記念日」として広まったのですか?
A: この短歌が収録された歌集『サラダ記念日』が、現代的な言葉遣いと口語で恋愛や日常のささやかな感動を瑞々しく表現し、若い世代を中心に爆発的な人気を得てベストセラーとなったためです。特に表題作にもなったこの歌は、何気ない日常の一コマが特別な記念日になるという共感を呼び、歌集のタイトルと共に広く知られるようになりました。あくまで歌の中での個人的な記念日ですが、その影響力の大きさから、7月6日を「サラダ記念日」と呼ぶ人が増えました。
Q: この短歌はどのような情景を詠んでいますか?
A: 食卓で手作りのサラダを「君(=大切な人)」が美味しいと言ってくれた、ただそれだけの出来事が、作者にとっては何にも代えがたい嬉しい瞬間であり、特別な記念日として心に刻みたい、という心情を詠んでいます。日常の中にある小さな幸せや、愛しい人とのささやかなコミュニケーションの大切さを表現した歌です。
Q: 歌集『サラダ記念日』は社会にどのような影響を与えましたか?
A: 短歌という伝統的な文学形式を、より身近で現代的なものとして多くの人々に再認識させるきっかけとなりました。特に若い世代の短歌への関心を高め、口語短歌の新しい流れを生み出す上で大きな役割を果たしました。「サラダ記念日」という言葉自体も流行語となり、日常のちょっとした出来事を「〇〇記念日」と呼ぶような文化にも影響を与えたと言われています。
日本に初めて鍵盤楽器が伝来した日: ピアノの日
1823年(文政6年)のこの日、オランダ商館医となるドイツの医師シーボルトが日本に初めてピアノを持ち込んだとされる。

Q: シーボルトが持ち込んだピアノはどのようなものでしたか?
A: 正確な記録は残っていませんが、当時のヨーロッパで一般的だった「スクエアピアノ」と呼ばれる、四角い箱型の比較的小型のピアノであった可能性が高いと考えられています。シーボルトは長崎の出島に滞在しており、このピアノも出島に持ち込まれたとされています。
Q: シーボルトはなぜピアノを日本に持ち込んだのですか?
A: 医師であり博物学者でもあったシーボルトは、日本の自然や文化を研究する傍ら、西洋の文化や技術を日本に紹介することにも関心を持っていました。ピアノを持ち込んだのは、個人的な楽しみのためであった可能性もありますが、西洋音楽や楽器を日本人に紹介する意図もあったのかもしれません。
Q: 日本でピアノが本格的に普及したのはいつ頃ですか?
A: シーボルトの持ち込み以降も、ピアノは非常に珍しく高価なもので、一般に普及するには時間がかかりました。明治時代に入り西洋音楽教育が導入されると、学校や一部の富裕層に徐々に広まりましたが、本格的に家庭に普及し始めたのは、国産ピアノの生産が軌道に乗り、経済成長が進んだ第二次世界大戦後のことです。
夏のカレーと相性抜群!: ナンの日
株式会社ジェーシー・コムサが制定。日付は「ナン」の需要が高まる夏の始まりの時期であり、「ナ(7)ン(6)」と読む語呂合わせから。
Q: ナンはどのような食べ物ですか?
A: インド、パキスタン、アフガニスタン、中央アジアなどで広く食べられている平焼きのパンの一種です。精製した小麦粉(マイダ粉)にヨーグルトや牛乳、卵などを加えて発酵させた生地を、タンドールと呼ばれる壺型の窯の内壁に貼り付けて焼き上げます。ふっくらもちもちとした食感が特徴で、カレーと一緒に食べられることが多いです。
Q: 株式会社ジェーシー・コムサはどのような会社ですか?
A: ピザやナンなどの冷凍生地や、ピザクラスト、チーズなどを製造・販売している食品メーカーです。特に業務用冷凍ナン生地などで高いシェアを持っています。自社製品のPRと、夏のカレーシーズンに合わせてナンの消費を促進するために、語呂合わせで記念日を制定したと考えられます。
Q: 日本ではいつ頃からナンが食べられるようになりましたか?
A: 1970年代以降、インド料理店が日本で増え始めるにつれて、徐々に知られるようになりました。特に1980年代から90年代にかけてインド料理ブームが起こり、カレーと共にナンを食べるスタイルが広く普及しました。現在では、スーパーマーケットなどで冷凍やチルドのナンも手軽に購入できるようになっています。
企業の信頼性を支える専門家の日: 公認会計士の日
1948年(昭和23年)のこの日に「公認会計士法」が制定されたことを記念して、日本公認会計士協会が制定しました。企業会計の専門家である公認会計士の役割を社会にアピールする日です。
Q: 公認会計士とはどのような仕事をするのですか?
A: 主な仕事は、企業などが作成した財務諸表(決算書)が適正であるかどうかを、独立した第三者の立場からチェックする「監査」です。これは公認会計士の独占業務であり、投資家や債権者などが企業の経営状況を正しく判断できるように、情報の信頼性を保証する重要な役割を担っています。その他、会計、税務、経営コンサルティングなども行います。
Q: なぜ公認会計士制度が必要なのですか?
A: 健全な経済社会を維持するためには、企業が公表する財務情報の信頼性が不可欠です。公認会計士による監査があることで、企業の不正会計を防ぎ、投資家などが安心して経済活動を行えるようになります。企業の透明性を高め、資本市場の公正さを保つ上で、公認会計士は重要な役割を果たしています。
Q: 公認会計士になるにはどうすればよいですか?
A: 国家試験である公認会計士試験に合格する必要があります。試験は短答式と論文式があり、会計学、監査論、企業法、租税法、経営学など幅広い知識が問われる難関試験です。合格後、実務経験(業務補助など)と実務補習を経て、修了考査に合格すると公認会計士として登録できます。
日本の空を駆けた名機の記念日: ゼロ戦の日
1939年(昭和14年)のこの日、三菱重工業が開発・製造した零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の試作機(十二試艦上戦闘機)が、海軍に領収(正式に受領)されたとされています。(初飛行は同年4月1日)
Q: ゼロ戦(零式艦上戦闘機)はどのような戦闘機でしたか?
A: 太平洋戦争初期において、日本海軍の主力艦上戦闘機として活躍しました。長い航続距離、優れた格闘性能(旋回性能)、強力な武装(20mm機関砲)を兼ね備え、当時の欧米の戦闘機を圧倒する性能を誇りました。設計には、徹底した軽量化が図られていました。
Q: なぜ「ゼロ戦」と呼ばれるのですか?
A: 正式採用された皇紀2600年(昭和15年/西暦1940年)の末尾の「0」をとって「零式」と名付けられたため、通称「ゼロ戦」または「レイ戦」と呼ばれるようになりました。
Q: ゼロ戦は戦争の最後まで活躍したのですか?
A: 戦争初期には無敵とも言える強さを誇りましたが、軽量化を優先したために防御力が低いという弱点がありました。戦争中期以降、アメリカ軍が高性能な新型戦闘機を投入し、かつ数で圧倒するようになると、ゼロ戦の優位性は失われ、苦戦を強いられるようになりました。それでも終戦まで改良が続けられ、日本の主力戦闘機として使われ続けました。